長野県中野市 柴本勤さん

長野県中野市 柴本勤さん

 今朝は朝5時ごろから突然の雨。今年は雨が少ない。すぐ晴れてはしまったが感謝感謝。恵みの雨だった6月22日。地元長野のテレビ局の取材の日。番組スタッフに囲まれ、自宅の前でしゃがみ込む。その真ん中に彼の姿があった。
柴本勤さん。51歳。

  「雨乞い踊りをしよう。」と農業仲間の幸太郎さんの言葉に、カメラマンは振り向き、音声さんはこれでもかとマイクを近づける。プロデューサーはもう、のりのり。
「やりましょう」の一言。当の柴本さんだけ。しりごむ。恥ずかし〜い。勘弁してくれと表情が語る。しかし、もう後には引けそうにない。 えいっ。やっ! ダンス♪ ダンス♪ゆかいな番組スタッフの人たちにのせられ、穏やかな笑顔の仲間と楽しい時間を過ごしていた。

 今回の主人公柴本さんとは、どんな人物なのだろうか。
 長野県の北にある中野市で20年前から有機農業を営む。畑の広さは2ヘクタールほど。年間20〜30種類くらいの野菜を栽培している。
 化学肥料はもちろんのこと、農薬も一切使わない。緑肥とぼかし肥を主体とした輪作。肥料はすべて植物性。動物の糞など動物性のものはいっさい使用していない。自然に負担をかけない農業をめざし、ビニールマルチすら使用しない。そんなこだわりの農業者が柴本勤さんである。


やっとたどり着いた

 転勤族だったサラリーマンに疲れ、26歳で退社。
 「あのころ、農家の人が、みょーにのんびり仕事をしているように見えたんです。雪が降る冬は、農作業はできないだろうと。そうすると冬の3ケ月は遊んで暮らせる。いいな、サイコー。そんないい生活、自分もしてみたかった。」
 「これ載りますよね?弱ったな。怒られちゃうかな〜。」
 それから25年。今年、大きなパワーをついに手に入れた。

 マイ農家クラブという4人の仲間。無農薬・有機農法で年間数十種類の野菜を栽培していく仲間なのだ。
 公務員や市場を経て、子育てが終わったのを機に、念願だった有機農業をしたいと私のところに来た人。
 年収1000万の生活を捨てて、子供のため(喘息・アトピー)と私のところに来た人。
 名古屋でごみ問題の市民サークルを組織し、有機農産物の流通を行っていた。順調だった。それでも有機農家になりたくて長野県にIターンしてしまったひと。
 この人たちとともに、無農薬・有機農法のマイ農家クラブが誕生した。

 「いま、ひとつの事業を起こして大きく育てる楽しみの真っ最中。今までの一人ぼっちとは違う。個人と団体の違いはいかに仲間を信じられるか。私の心が試されたり鍛えられたりすることでしょう。成功した暁には、個人が成功したよりも数倍の喜びがあるのだと思っています。」


長かったここまでの道のり

 有機農業を志す多くの方には、農薬害を体験されたり、自然保護のためなどの動機がある。
 「残念ながらそのような志はありませんでした。有機無農薬農業を実現できる人間は、私しかいないと、なんとなく思っていました。それだけです。」
 本格的に農業が始めたのは30歳の時。もちろん最初から有機・無農薬栽培だった訳ではない。有機農業に興味はあったものの、最初の年は化学農薬を使って、ナスを栽培。マニュアル通りの農業。農薬の使用基準を守った。それなのにいっこうにアブラムシはいなくならない。どうしたことか?これでは作物を作れないではないか。
「慣行の野菜作りを体験してみて改めて無農薬有機農業に強く惹かれました。どうしても自分がやらなければならないと。」

 NHKで有機農業の農家の人の紹介番組があった。番組に登場した人たちは、化学肥料を使わずしかも無農薬や減農薬で野菜を作っている。
 偶然にもアスパラを肥糧はほとんど有機質だけでつくっていた。
 島本微生物農法の本に巡り会い、このあたりで沢山でるキノコの廃オガを堆肥にして畑に入れていた。すでに有機農業になっていたのだ。
後は農薬の問題をクリヤーだけだった。
専業農家の一年生のとき得た教訓。農薬の使用基準どおりでは、虫がいなくならない。この体験を生かして、本を参考に野菜との格闘が始まった。まず失敗し、すると今度はこうしてみようとの思いが頭に浮かび又試してみる。それでもうまくゆかないそれじゃこうしてみよう。そんな繰り返しでした。 無農薬栽培がごろごろいた。


無農薬栽培がごろごろいた

 瞬く間に5年が過ぎ、ようやく作物が収穫できるようになりました。
そして有機農業研究会にはいりました。当時私は 自分だけが無農薬栽培をして、凄いことをしていると思い上がっていましたので 有機農研の方々の農法や考え方を聞いてビックリしました。
無農薬栽培の方がごろごろいるし不耕起栽培の人までいたのです。さらに環境問題から有機農業を実践している人 今の農業を何とかしなければ未来はないと考えておられる方ほんとにいろんな人たちがいました。 そんな人たちや振り売りのお客様などから影響を受け自分の考えも少しずつ変わってきたように思います。


いろいろありました。困ったこと、気持ちよかったこと。

この20年間いろいろありました。
 貯金をはたいて立てた4棟のビニールハウス。台風のため、すべて倒壊。次の日がそのビニールハウスの横のせぎの泥揚げ作業で 私と村の人20名ぐらいで作業したときは、きまずかった〜。
 キュウリで べとびょう を出してしまったとき隣の農家の人から、「山の中でやってくれ」などと怒られ結局キュウリを切る羽目になったとき。、しかし翌年は逆に隣で べとびょう を出しました。そのときは、気持ちよかったです。
「ごめんなさい」


トマトの糖度がグーンと。

玄米アミノ酸についてはどうですか?
「すごかったです。まず作物が元気になりました。信州新町の渡辺さんもブログの中で書いていますがまさしくそのとおりげんきになりました。トマトに使ったときは根元に土壌完注をしました。 見る見る木が元気になるので楽しくて何回も使いました。本当に数時間で元気になるのです。
味がよくなりました。 糖度があがりました。比較のためクッキングトマトに使用しましたがこれは生食用のサンロードよりも甘くなりました。」
 ただ…。
ねずみやモグラもふえました。ミミズが爆発的に増え土がやわらかくなりました。その分
去年の暮れからぼかしも使うようになり、さらに土が軟らかくなってきています。 これから


これから

野菜を食べなさすぎる。野菜を売ってみて感じる。
「私なんか一回に一人でキャベツ半分ぐらい、キュウリ2本なす3本ぐらいは平気で食べます。今の人たちはですからおいしい野菜を作ればもっと一人の人がたくさん食べてくれるのではないでしょうか。そうすれば自然に健康になります。私の野菜はおいしいだけでなくミネラルも豊富ですから。」

 だからこそ、化学肥料や農薬は一切使わない。動物の糞などまったく使用しない植物性の緑肥とぼかしを肥料にする。
ミネラルたっぷりの栄養価の高い、そしておいしい野菜たちをこだわって作りたい。
「野菜を通して、近くの主婦の方々と知り合えて、今畑を手伝っていただいているように私たちが無農薬をやることで回りの人たちが、低農薬や無農薬を実践してくれればありがたいとおもいます。 そして、私とかかわってくれる人が楽しく幸せなときが過ごせるといいと思っています。

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